バスクの古い店で、小さな素焼きの器が運ばれてきます。中では油がまだ音を立てていて、白く細い糸のようなものが無数にうごめいて見える。木のフォークを渡され、火傷しないよう慎重に口へ運ぶ。ニンニクと唐辛子の香り、そして、ほとんど無味に近い繊細な甘み。

アングイラ(Anguila)とは、スペイン語でウナギのこと。そしてその稚魚、シラスウナギを指すのが「アングーラス」です。スペインの食文化において、この魚は極端な二面性を持っています。かつては貧しい漁村の食べ物で、いまは世界屈指の高級食材。同じ魚が、素朴な煮込みにも、最高値の小皿にもなる。

その振れ幅の理由を、歴史と一緒に辿ります。

素焼きの器で供される小皿料理

アングーラスという珍味

ウナギの稚魚は、体長数センチ、透明で、細い糸のような姿をしています。

大西洋の遥か沖で生まれた稚魚が、海流に乗ってヨーロッパの河口に到達する。バスクやカンタブリアの川では、冬の夜、この群れを網ですくう漁が行われてきました。

伝統的な調理法は、素焼きの小鍋にオリーブオイル、薄切りのニンニク、唐辛子を入れて熱し、そこへアングーラスを放り込んで数十秒。木のフォークで食べる。金属だと熱が伝わりすぎるから、というのが理由とされています。

構造としては、完全にアヒージョです。油とニンニクで素材を煮る、あの小鍋料理。エビのアヒージョきのこのアヒージョと同じ器で、まったく違う値段のものが出てくる。

かつては安価でした。二十世紀半ばまで、バスクの漁村では日常の食材で、豚の餌にされた時代すらあったと言われます。それが変わったのは、稚魚の漁獲量が激減してから。生息数の減少と漁獲規制により、価格は高騰し、いまでは一皿が驚くような金額になります。

グーラという答え

高すぎる。ではどうするか。スペインが出した答えは、代用品の開発でした。

グーラ(Gula)と呼ばれるこの製品は、スケトウダラなどのすり身を練り、アングーラスの形に成型したもの。表面に墨で目のような点を打ち、見た目まで似せてあります。日本のかまぼこ技術に近い発想で、実際に開発には日本の練り製品の知見が関わったと言われています。

味は、当然ながら別物です。それでも、ニンニクと唐辛子の油で熱すれば、あの料理の輪郭は再現できる。いまではスーパーで普通に売られ、バル小皿料理にも堂々と並んでいます。

本物と代用品が、同じ名前の隣で共存している。食材の枯渇に対する、ひとつの実際的な対応です。干し鱈が保存の必要から生まれたように、食文化は制約に応じて形を変えていきます。

成魚のウナギと、米

一方、成長したウナギのほうは、まったく別の顔を持っています。

代表的なのが、バレンシア近郊のアルブフェラ湖。汽水域の広大な潟湖で、ここで獲れるウナギが「オール・イ・ペブレ」という郷土料理になります。ニンニクとピメントン、じゃがいもと一緒に煮込んだ、素朴で力強い一品。

そしてこの湖は、パエリアの発祥地でもあります。湖畔の水田で米が育ち、そこにウナギが棲む。元祖パエリアの姿にはウナギが入っていたという説もあり、米料理の文化とウナギは同じ土地から生まれています。

カタルーニャのエブロ川デルタでも、ウナギは重要な食材です。米作地帯と重なるのは偶然ではなく、湿地という環境が両方を育てているからです。

調理は、煮込みが中心。日本のように蒲焼にする文化はありませんが、熾火で炙る食べ方も地域によっては見られます。脂が多い魚なので、火にかけると脂が落ちて香ばしい煙が立つ。理屈は同じです。

ワインとの相性

アングーラスは、繊細さそのもの。強いワインは、あの微かな味を消してしまいます。

合わせるならチャコリ。バスクの微発泡白は、この料理の生まれた土地の酒であり、鋭い酸が油を切ってくれる。リアス・バイシャスの白も同じ役割を果たします。しっかり冷やして、温度を保つことが大切です。

成魚の煮込みには、もう少し力が必要です。パプリカとニンニクの効いた料理には、果実味のあるガルナッチャや、よく冷やしたロサード。トマトを使った仕立てなら、軽めのテンプラニーリョも選択肢に入ります。

庶民の鍋から最高級の小皿まで。ひとつの魚が辿った道のりが、そのまま食文化の変化を映しています。ほかの魚介の話は、コラム一覧からご覧ください。