スペインの米料理といえばパエリア——そう答えて、間違いではありません。ただ、それは山の名前を聞かれて頂上の一点を指したようなものです。
アロス(arroz)とは、スペイン語で「米」。同時に、米を主役に据えた料理全般を指す総称でもあります。パエリアはその中でもっとも有名な一皿にすぎない。実際には、だしの取り方、鍋の選び方、そして仕上げの水分量によって、驚くほど多彩な料理へ枝分かれしていきます。
その枝を、根元からたどっていきましょう。

アロスとは(パエリアとの違い)
アロスは器の名前です。パエリアはその中身のひとつ——「浅い平鍋(パエジェーラ)で汁気なく炊き上げるタイプ」を指す名前にあたります。
スペインでは米料理を、仕上げの水分量で三つに分けます。汁気のない「アロス・セコ(arroz seco)」、リゾットのようにとろりとした「アロス・メロソ(arroz meloso)」、そしてスープに近い「アロス・カルドソ(arroz caldoso)」。パエリアはこのうちセコの代表格です。
つまりパエリア=アロスではない。パエリアはアロスの一部分。ここを押さえると、スペインの米の世界が急に見晴らしよくなります。
歴史と産地
米がイベリア半島へ伝わったのは中世のこと。地中海沿岸の湿地帯で栽培が広がりました。なかでもバレンシア地方はスペイン最大の米どころとして知られ、いまも多くの米料理の発祥地とされています。元祖パエリア・バレンシアーナがここから出たのも、偶然ではありません。
一方、地中海沿いのアリカンテやムルシアでは、うさぎや野菜を使った素朴なアロスが今も家庭料理として生きています。内陸部へ入れば、狩猟肉やきのこを使う冬向けのアロス。気候と産物が、そのまま皿の個性になっている。カスティーリャの素朴な食卓と地中海の食卓が別物なのと、同じ理屈です。
作り方のポイント ― 鍋とだしが味を決める
土台は二つ。玉ねぎ・にんにく・トマトをじっくり炒めた「ソフリート」と、素材のうまみを引き出す「フメット(魚介だし)」や肉のだしです。ここに米を入れ、だしの量と炊き時間を動かす。それだけでセコ・メロソ・カルドソが分かれていきます。
そして鍋。ここが軽視されがちですが、決定的です。浅く広いパエジェーラは水分が早く飛ぶのでセコ向き。深さのある土鍋(カスエラ)はだしを多めに残せるので、メロソやカルドソに向く。同じ材料でも、鍋を替えれば別の料理になる。
薪料理の伝統が根強い地域では、いまも薪火でアロスを炊きます。鍋底に軽いおこげ、そして燻香。設備の話ではなく、味の話としてこれが受け継がれています。

代表的なバリエーション
名品はパエリアの外にもあります。いかすみで真っ黒に染めたアロス・ネグロ。うさぎや鶏、豆を使うバレンシアの素朴な「アロス・アル・オルノ(窯焼き)」。スープのようにとろりと仕上げる魚介の「アロス・カルドソ・デ・マリスコ」。米の代わりに極細パスタを使うフィデウアも、広い意味では仲間に数えられます。
見た目はばらばらですが、考え方は一本です。米にどれだけだしを吸わせ、どこで火を止めるか。その匙加減が、料理人の腕そのものになります。
料理・ワインとの相性
アロスは、魚介やきのこ、肉のうまみを米にまとわせる料理。だから寄り添う相手も、押しの強すぎないものが向きます。香りのやわらかい白、あるいは軽やかな赤やロゼ。
スペインワインのなかでも、酸のきれいな品種や樽の効きすぎないクリアンサクラスなら、繊細なだしの風味を邪魔しません。前菜にパン・コン・トマテやクロケッタを置き、締めにアロス。スペインの食卓らしい流れです。
鍋が変われば、アロスも変わる。だから米料理は、一皿では語りきれません。
そのほかの料理やテーマについては、コラム一覧からご覧いただけます。