皿が運ばれてくる前に、香りが先に届く。薪火の店に入ると、そういう順番になります。
その香りには名前があります。「燻香(くんこう)」。木材が不完全燃焼を起こすときに立つ煙、その中の芳香成分が食材の表面や脂に付着し、しみ込んでいく。つまり薪料理では、焼くという行為が同時に燻すという行為になっているわけです。狙って燻しているのではなく、焼けば必ず燻される。ガスや電気の火では、どうやってもここに届きません。
では、その煙のなかで何が起きているのか。

燻香とは何か
木が燃えると、セルロースやリグニンといった成分が熱で分解されます。そこから生じる煙には、フェノール類やカルボニル化合物など、数百種の芳香成分が含まれている。それが立ちのぼり、食材の表面に香りの層をつくる。これが燻香の正体です。
いわゆる「燻製」と何が違うのか。こう整理すると分かりやすい。燻製がこの現象を長時間・低温で意図的に起こすものなら、薪火焼きは短時間・高温で一気に凝縮して起こしている。同じ原理の、時間軸だけが違う兄弟です。
そして意外なのはここ。香りづけの主役は、燃え盛る炎ではありません。炎が落ち着いたあとの熾火(おきび)が立てる、あの細い煙です。強い炎は上昇気流で煙を逃がしてしまう。対して熾火の穏やかな燃焼は、香気成分を食材のそばにとどめてくれる。炭火と薪火の使い分けが語られるのも、結局この差に行き着きます。
なぜ薪火だけに宿るのか
炭火にも香りはあります。ただ、炭はすでに木を一度蒸し焼きにして揮発成分を飛ばした燃料。燃やしたときの香りの複雑さでは、薪にかないません。
薪は違います。樹脂も油分も水分も、木が抱えていたものをそのまま燃やす。だから樹種の個性が、加工を経ずに煙へ出てくる。ガスや電気には、そもそも香気成分を生む燃焼過程が存在しません。ここは技術の優劣ではなく、あるかないかの話です。
薪火焼きとは、燃料が持っている「木の記憶」を食材へ移し替える調理法——そう言ってしまってもいいと思います。薪窯とアサドールのように熱の伝え方が違う道具でも、この一点は共通しています。

樹種による香りの違い
香りの質は、燃やす木で決まります。薪の樹種は、料理人にとって選択肢のひとつです。
ナラや樫(かし)などの広葉樹は、香りが穏やかで火持ちがいい。肉全般に合わせやすい万能型です。甘い香りを狙うなら、りんご・さくら・くるみといった果樹や堅果樹。フルーティな香気成分が多く、魚介や鶏肉、焼き野菜によく寄り添います。
一方、松などの針葉樹は不向きとされます。樹脂分が多く、煙が強すぎる。料理の香りを煙が上書きしてしまうのです。
もうひとつ、乾燥。地味ですが効きます。水分の多い薪は不完全燃焼が過剰に進み、渋みや刺激臭の成分が増える。よく乾いた薪ほど、煙は澄んで香ばしい。
食材への移り方と味わいのポイント
燻香は、脂に溶け込むようにして定着します。だから脂肪分のある食材ほど香りをまといやすい。イベリコ豚の生ハムのように熟成して脂の乗ったものや、チョリソーのような腸詰と薪火の相性がいいのは、この理屈です。熟成肉が薪火と結びつくのも同じ。魚介なら、表面はこんがり、身はしっとり。この二段構えが理想とされます。
食べるときのコツもひとつ。皿から立つ湯気に合わせて、鼻に抜ける香気へ意識を向ける。それだけで燻香の輪郭がはっきりします。
ただし、強すぎる燻香は食材の味を覆ってしまう。火加減と距離で「香りの濃度」を測る——ここが薪火を扱う料理人の腕の見せどころです。香りは足すのは簡単で、引くのが難しい。
料理・ワインとの相性
香りの強い皿には、香りに負けない骨格のワインを。テンプラニーリョのように果実味としっかりしたタンニンを備えた赤、あるいは樽熟成を経たクリアンサ・レセルバ。樽の香ばしさと薪の香ばしさは、素直に手を結びます。
オプス・セイスでも、薪火で焼き上げた料理をこうしたワインとともに楽しんでいただけるよう、樹種や火加減にこだわった一皿をご用意しています。香りは、舌より先に届く。だからこそ、そこから設計します。
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