鍋が、そのまま食卓にやってきます。取り分けもせず、盛り替えもせず。黄金色の米が湯気を立てたまま、テーブルの真ん中に置かれる。この一瞬のために、パエリアという料理は組み立てられています。

パエリアとは、専用の浅い平鍋を使って米を炊き上げる、スペイン発祥の米料理。サフランで染まった米に、魚介や肉、野菜のうまみを吸わせていきます。いまや世界中で知られる、スペインの顔。

ただ、その名前が何を指していたのかを知ると、この料理の見え方は少し変わります。

パエリア鍋(パエジェーラ)で炊いた一皿

パエリアの語源と歴史

「パエリア(paella)」という言葉は、料理の名前ではありませんでした。もともとは調理に使う平鍋そのものを指すバレンシア語。つまりパエリアとは「鍋(で作る料理)」。道具の名前が、そのまま料理の名前になってしまった——パエリェラという鍋の話を抜きにこの料理は語れない、という理由もそこにあります。

発祥は、スペイン東部のバレンシア地方。もとは農民が畑仕事の合間に、その場で手に入る食材を米と炊き込んだ素朴な料理でした。うなぎ、かたつむり、豆、鶏やうさぎ。海の幸ではなく、足元にあるものです。

やがて地中海の魚介を使ったパエリアが生まれ、そちらが世界へ広まっていきました。日本人が思い浮かべるパエリアは、実は後から来た顔なのです。

パエリアの種類

地域と具材で、パエリアはいくつかの顔に分かれます。

バレンシア風(Paella Valenciana) ― 発祥の地の伝統的なパエリア。鶏やうさぎ、いんげん豆などを使い、魚介は入れない。元祖の姿にあたるものです。

魚介のパエリア(Paella de Marisco) ― えびやムール貝、いかをふんだんに。日本でおなじみのタイプ。

ミクスタ(Mixta) ― 肉と魚介の両方を合わせた「ミックス」。

このほか、米の代わりに極細パスタを使う「フィデウア」も仲間として親しまれています。米を主役にしたアロスの料理は、スペインではこれほど枝分かれしている。

魚介のパエリア

主な材料

主役は、なんといっても。スペインでは、スープをよく吸いながら粒感を手放さない「ボンバ米」などの短粒種が好まれます。

そして欠かせないのが、あの黄金色と独特の香りを生む**サフラン**。世界一高価なスパイスが、農民の鍋に入っていた——という妙な事実も、この料理にはついてきます。

味の土台は、玉ねぎ・トマト・にんにくをじっくり炒めた「ソフリート」。ここに魚介や肉のだしパプリカ(ピメントン)が重なり、奥行きが出ます。派手な調味料は、どこにも出てきません。

作り方の基本と「ソカラット」

米を炒め、だしを加える。そこから先の作業は、ひとつだけです。

混ぜないこと。

かき混ぜないから、鍋底に香ばしいおこげができます。スペイン語で「ソカラット(socarrat)」。この一枚がパエリアの醍醐味とされ、上手に炊けたかどうかの答え合わせにもなります。手を動かさないほうが旨くなる料理は、そう多くありません。

火加減は、最初は強火で沸かし、その後は弱火でじっくりと。伝統的には薪火やオレンジの木の枝で炊かれ、薪の樹種の香りまで米にまとわせるのが本場の手法でした。仕上げにレモンを添えて、搾っていただきます。

世界に広がるパエリア

世界中に広まった料理ですが、本場が譲らない線は今もはっきりしています。炊いている途中で米をかき混ぜない。具材を欲張って入れすぎない。そして鍋底のおこげを大切にする。三つとも、足す話ではなく我慢の話です。

日本では魚介のものが広く知られますが、発祥の地バレンシアの答えは違います。鶏やうさぎ、いんげん豆を使った素朴なものが「本来」。そこから地域ごとに多彩なバリエーションが枝分かれしてきました。米の代わりに極細パスタを使うフィデウアも、イカ墨で米を黒く染めるアロス・ネグロも、同じ幹から伸びた枝です。

楽しみ方

ひとりぶんのパエリアは、本場にはほとんど存在しません。大きな鍋で作ってみんなで囲むもの。しかも昼食に、時間をかけて。スペインの食事時間を思えば、これは合理的な話です。

合わせるのは、冷えた白ワインやロサード、スパークリングのカバ。前にタパスを何皿か置いておけば、鍋を待つ時間まで楽しみに変わります。それが地中海の食卓のつくり方です。

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