雲が低い。山の斜面は上まで緑で覆われ、その足元に牧草地が続きます。数キロ下れば、もう海。断崖に波が当たり、白く砕ける。乾いた大地というスペインのイメージは、ここにはありません。
アストゥリアス(Asturias)とは、スペイン北部、ビスケー湾に面した地方のこと。背後にカンタブリカ山脈がそびえ、前には荒い海が広がる。この地形が雨を呼び、緑を育て、そして独特の食卓をつくりました。
気候と地形が何を決めたのか。豆、シードル、チーズ、海の幸。土地の側から料理を見ていきます。

雨が決めた食卓
まず、地形の話から。
カンタブリカ山脈が、大西洋から吹き込む湿った空気をせき止めます。空気は山にぶつかって上昇し、雲になり、雨を降らせる。結果として、アストゥリアスは年間を通じて降水量が多い。「緑のスペイン」と呼ばれる一帯の中核です。
雨が多いということは、オリーブやぶどうの大産地にはなりにくいということでもあります。乾いたカスティーリャや太陽のアンダルシアとは、そもそも前提が違う。
かわりに育つのが、牧草と、りんごと、豆です。牧草地があれば牛が飼える。牛がいれば牛乳とチーズがある。りんごが実れば、それを発酵させる。乾燥に頼る保存法が使いにくいぶん、煮込みと発酵に比重が移る。この地方の料理は、そういう条件から組み立てられています。
ファバダという冬の一皿
代表格は、ファバダ。
ファベス(fabes)と呼ばれる大粒の白いんげん豆を、チョリソー、モルシージャ、塩漬けの豚肉と一緒に、時間をかけて煮込む。豆は皮が薄く、煮崩れる寸前まで火を入れる。スープはとろりと重く、脂とパプリカの色が溶け込んでいます。
見た目は素朴です。ただ、寒く湿った冬に、これほど的確な料理もない。冬に薪火と煮込みが求められる理由が、そのまま形になった一皿です。
具材の腸詰めは、冬の豚の解体行事で仕込まれたものが使われてきました。豆を育て、豚を飼い、冬に仕込み、冬に食べる。一年の循環が、鍋のなかに収まっている。コシードと同じく、煮汁そのものが主役になる料理でもあります。

シードル、注ぎ方まで含めた文化
そして、シードラ(sidra)。りんごの発泡酒です。
ぶどうが育ちにくい気候で、代わりに発酵させたのがりんごでした。アストゥリアスの伝統的なシードルは甘くありません。酸が強く、濁りがあり、泡はほとんど瓶に残っていない。
だから、注ぎ方に工夫があります。エスカンシアール(escanciar)。瓶を頭上高く掲げ、腰の位置に構えたグラスへ、細い流れを落とす。液体がグラスの内壁に叩きつけられて空気を含み、一時的に泡立つ。注ぐのは一口分だけで、泡が消える前に飲み干す。
チャコリを高い位置から注ぐバスクの習慣と、発想は近い。どちらも北の海沿い、酸の強い酒を扱う土地の作法です。シードル専門の居酒屋はシドレリアと呼ばれ、注ぎ手が客のあいだを回り続ける。ワインの注ぎ方や温度とはまったく違う流儀が、ここにはあります。
山の乳製品と、海の幸
牧草地が広がれば、乳製品が育ちます。
アストゥリアスはチーズの種類が非常に多い地方として知られています。なかでも有名なのがカブラレス。牛乳を主体に、山中の洞窟で熟成させた青カビチーズで、香りも塩気も強い。羊乳から作るマンチェゴの穏やかさとは、まるで別の方向です。強い青カビには、甘みのあるシードルや、力のある赤が寄り添う。ワインとチーズの相性を考えるうえでも、極端な一例として面白い存在です。
海の側も豊かです。荒い海で獲れる魚介は身が締まり、メルルーサや貝類、ムール貝が食卓に上がる。魚介と米を汁気多めに煮た料理や、タコを使った一皿は、隣接するガリシアとも通じます。
山を数十キロ下れば海、という地形。だから同じ食卓に、山の豆と海の貝が並ぶ。カタルーニャの海山の組み合わせとは成り立ちが違いますが、距離の近さが食を混ぜるという点では似ています。
雨の多い北の地方が、乾いた南とは別の答えを出した。スペインをひとつの料理でくくれない理由が、ここにあります。地方ごとの食の話は、バスクの記事やコラム一覧からもたどれます。