チーズの話になると、たいていフランスとイタリアの名前が先に出ます。スペインは、その後ろに小さく控えている。知名度で言えば、たしかにそうかもしれません。

けれど中身を開けてみると、話は変わります。スペインのチーズは「ケソ(queso)」と呼ばれ、国土の広さと気候の多様性をそのまま映すように、地域ごとに驚くほど違う顔で作られています。しかも主役は牛乳ではありません。羊乳や山羊乳を使った濃厚なものが中心で、世界的に評価される銘柄も少なくない。

なぜ牛ではなく、羊と山羊だったのか。ここに、この国の風景が関わってきます。

様々な種類のスペインチーズが並ぶ木の板

スペインのチーズ(ケソ)とは

牛は、豊かな牧草地を必要とします。スペインの乾燥した台地や山岳地帯には、それがなかった。代わりに羊と山羊が放たれ、荒れた土地でも成り立つ牧畜文化が育っていきます。カスティーリャの高原を思い浮かべれば、事情は察しがつくでしょう。

その結果、牛乳中心のフランスやオランダとは違う地図ができました。羊乳、山羊乳、牛乳、そしてそれらを混ぜた「混乳(こんにゅう)」。乳の選択肢が三通りある国は、そう多くありません。

多くのチーズは、フランスの「AOC」に相当する原産地呼称制度(D.O.)によって産地と製法が守られています。スペインワインの原産地呼称と、考え方はそのまま同じ。土地の名前が品質を担保するという発想です。

歴史・由来

起源は、かなり遡ります。ローマ時代以前とされるほど古い。乾燥した大地では牧草地が限られ、牛よりも羊や山羊の放牧が適していた——この単純な事情が、羊乳・山羊乳チーズの伝統をつくりました。

中世以降、製法を抱えたのは修道院と農村共同体でした。それぞれが自分たちのやり方を守り、外に出さずに伝えていく。中央の基準がなかったからこそ、地域ごとの個性は削られずに残りました。修道院が食の技を抱え込むという構図は、スペインの菓子文化にも同じかたちで見られます。食の記憶は、たいてい壁の内側で守られてきました。

現代では、伝統的な製法を守りながら品質管理を徹底した工房が増え、国内外の品評会で高く評価される銘柄も生まれています。

味わいの特徴

味を決めるのは、まず乳です。羊乳チーズは脂肪分が高く、コクと独特の香ばしさを持つ。山羊乳チーズは酸味が立ち、後味がすっきり抜ける。牛乳チーズは総じてマイルドで、クリーミーな口当たりのものが多い。同じ工程を踏んでも、出発点が違えば着地点も違います。

そこに、時間という第二の軸が乗ります。若いうちはミルキーで柔らかい。熟成が進むにつれてナッツのような香ばしさが現れ、うまみは濃縮し、味わいは力強くなっていく。ワインでクリアンサとレセルバを分けるのと同じで、年月が味の階層をつくるのです。

ナイフでカットされた熟成チーズの断面

代表的な種類・産地

名前を一つ挙げるなら、マンチェゴ(queso Manchego)。中部の高原地帯カスティーリャ・ラ・マンチャ地方で、マンチェガ種という羊の乳から作られます。側面に走る独特の編み目模様と、ナッツのような香ばしさ。熟成期間で味わいの深さが変わり、D.O.マンチェゴとして厳格に守られています。

しかし、これは入口にすぎません。

北部カンタブリア地方の「カブラレス」は、洞窟で熟成させる青カビチーズ。刺激的な香りと強い塩気で、初対面の相手を選びます。バスク地方の「イディアサバル」は羊乳の燻製チーズで、燻した香りが料理との組み合わせを一気に広げてくれる——薪火の香りを纏った皿と並べたときの相性は、想像がつくでしょう。ほかにも山羊乳の「ケソ・デ・カブラ」、牛乳のクリーミーな「テティージャ」。地域の数だけ、銘柄があります。

料理・ワインとの相性

スペインでのチーズの居場所は、食事の締めではありません。食前酒のつまみ、あるいはタパスの一皿。何も手を加えず、そのまま出すのが基本です。手を加えるとしても、オリーブオイルをひと垂らしするか、はちみつを添えるか。それくらい。上質なスペインのオリーブオイルを選べば、それだけで充分に成立します。

ワインは、乳に合わせて選ぶと外しません。羊乳の熟成チーズにはテンプラニーリョのような力強い赤。山羊乳のフレッシュなものには、軽やかな白かロサード。そこにイベリコ豚の生ハムとナッツを添えれば、もう立派な一皿です。より詳しいペアリングの考え方は、ワインとチーズの記事にまとめています。

知名度で控えていても、土地の数だけ味がある。スペインのケソが面白いのは、そこです。

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