車で走っていると、突然、景色が切り替わります。低木しか生えない荒れ地。その先に、青々としたレタスの畑が地平線まで続いている。境界線がはっきりしすぎていて、少し不自然にすら見えます。
境目にあるのは、水路です。
ムルシア(Murcia)とは、スペイン南東部、地中海に面した自治州のこと。年間降水量が非常に少ない半乾燥地帯でありながら、「ヨーロッパの菜園」と呼ばれるほどの野菜産地。この矛盾を成り立たせているのが、灌漑の技術です。

ムルシアとは
スペインでも屈指の乾いた土地です。日照時間は長く、雨は少なく、冬も温暖。この気候そのものは、水さえあれば作物にとって理想的な条件でもあります。
水を運ぶのがセグラ川。そして、その水を畑の隅々まで配る用水路網です。アラブ支配の時代に整備された灌漑が土台になったといわれ、限られた水を区画ごとに公平に分ける仕組みが長く受け継がれてきました。同じく水の配分が食を決めたバレンシアとは、隣り合う土地であり、発想も近い。
結果として、この州は一年中どこかで何かを収穫しています。冬でも畑が動く。季節ごとに食材が入れ替わるという感覚が、他の地方より緩やかなのも特徴です。
野菜の産地としての実力
レタス、ブロッコリー、アーティチョーク、トマト、パプリカ、レモン。市場に並ぶ品目の幅は、スペイン随一といっていいでしょう。
温暖な冬のおかげで、他の地域が休んでいる時期に出荷できる。これがこの土地の強みです。北のナバーラが短い旬を保存で伸ばす土地なら、ムルシアは旬そのものを長く保てる土地。
料理も、素材の良さを前提に組み立てられます。太陽を浴びた野菜を焼くだけ、あるいは生のままオリーブオイルと塩で。炎で野菜の甘みを引き出す手法も、この地方の得意とするところです。
火を使わない一皿も多く、夏の食卓には冷たい料理が並びます。すぐ西のアンダルシアのガスパチョに通じる、暑さと付き合うための知恵です。
海と、赤い粉
畑ばかりではありません。マル・メノールと呼ばれる大きな潟湖が海岸にあり、内海の穏やかな水がエビやボラを育てます。外洋側ではマグロ漁も行われてきました。
魚介と米を合わせた料理も豊富です。汁気のあるアロス・カルドソのように、鍋ごと出す米料理はこの一帯でよく食べられます。
そして忘れてはならないのがパプリカ。ムルシアは乾燥パプリカの主要産地のひとつで、太陽で干して粉にする製法が伝統的です。西部のラ・ベラが燻製なら、こちらは天日。同じ赤でも香りの出どころが違います。
野菜を酢に漬けて保存する技法も日常的で、豊作を無駄にしない工夫が根づいています。
ワインとの相性
州内には、フミーリャ、イエクラ、ブジャスという三つの原産地呼称があります。主役はモナストレル種。乾燥と強い日照に耐える品種で、色が濃く、アルコール感のあるふくよかな赤になります。
野菜料理には重すぎる、と思われるかもしれません。実際その通りで、焼き野菜や生野菜には冷やしたロサードや白のほうが合います。この地方でもロゼは日常的に飲まれます。
一方、肉や煮込みには地元の赤が本領を発揮する。グラスの形を変えるだけでも印象が整いますし、少し低めの温度で出せば、暑い土地の食卓でも重たくなりません。
乾いた大地に、水の線を引いた。ムルシアの豊かさは、人の手が作ったものです。ほかの地方については、コラム一覧からどうぞ。