朝のメルカドは、うるさい。魚を叩く音、値段を叫ぶ声、常連と店主の長話。買い物より会話のほうが長い客も珍しくありません。
メルカド(mercado)とは、スペインの各都市に古くから根づく公設・常設の市場のことです。魚屋、肉屋、八百屋、生ハム専門店が軒を連ね、地元の人が毎日の食材を買いにくる——文字どおりの「街の台所」。
ただし近年、この台所の性格が少し変わってきました。立ち食いのバルが併設され、観光客も気軽に立ち寄る。食のテーマパークのような顔を持ちはじめたのです。買う場所が、食べる場所になった。その変化の中身も含めて見ていきます。

メルカドとは
「市場」と訳すと、少しずれます。日本語の市場から連想する露天の風景とは、実物がかなり違うのです。
多くのメルカドは、19世紀後半から20世紀初頭に建てられた鉄骨とガラスの常設建築です。しかも各都市の中心部で、いまも現役。骨組みごと100年以上使われ続けている建物が、毎朝食材を並べています。
屋台が並ぶ露天市との最大の違いは、店が動かないこと。区画ごとに専門店が入居し、それぞれの店主が長年の目利きで仕入れた食材を扱います。魚を買うなら、あの人。肉なら、あちら。関係が固定されているからこそ、目利きが意味を持つ。
そこに近年、その場で調理して出すバルやカウンターが加わりました。「買う場所」に、立ち飲みの流儀が持ち込まれたわけです。
歴史・由来
起源をたどると、ローマ時代やイスラム支配期の青空市場までさかのぼるといわれます。屋根はまだありません。
転機は産業革命期です。衛生管理と都市計画の観点から、屋根付きの常設市場を建てる動きがヨーロッパ各地に広まりました。バルセロナのサン・ジュセップ市場(通称ボケリア)、マドリードのメルカド・デ・サン・ミゲル。あの鉄骨建築は、この時代の産物です。
そして20世紀後半、メルカドは追い詰められます。スーパーマーケットの台頭。安く、早く、静かに買える場所ができた。役目を終えたかに見えた市場も少なくありませんでした。
ところが2000年代以降、話が反転します。食のガストロノミー化の流れの中で、「本物の食材と出会える場所」として再評価が進んだのです。改装と再生を経て、多くのメルカドが活気を取り戻しました。効率で負けた場所が、効率以外の価値で戻ってきた——最古の調理法が最先端になった薪料理と、よく似た筋書きです。
建築とレイアウトの特徴
鉄骨の骨組みに、ガラスとタイル。当時としては先進的な建築様式でした。ただ、これは意匠の話だけではありません。
天井が高く、採光に優れ、風通しがよい。冷蔵設備が乏しい時代に生鮮食材を扱うなら、この三つが命綱です。つまりあの壮麗な空間は、美しさを狙った結果というより、腐らせないための設計でした。
内部は魚介、精肉、青果、乾物、生ハムと品目ごとに区画が分かれています。店主と客が会話をしながら商品を決めるスタイルも、いまも残っている。近年改装された市場では、この伝統的な区画に立ち食いカウンターやバルが組み込まれ、観光客と地元客が同じ空間に肩を並べています。

メルカドで見る食文化
一周歩けば、その街の食卓の見取り図が手に入ります。
魚介店には、水揚げされたばかりの魚と、タコのガリシア風に使われるタコ。精肉店の天井からはイベリコ豚の生ハムの原木が下がっています。乾物店にはチョリソーと豆類が積まれ、青果店ではオリーブの実やオリーブオイルが量り売りされることも珍しくありません。
そして併設のバル。パン・コン・トマテやクロケッタを片手に、グラスワインかベルモットで一杯。買い物の途中で立ち止まる、あの中断がなかなか贅沢です。
買い物客、観光客、地元の常連が同じカウンターに肩を並べる。整理されていない、この雑然とした活気こそがメルカドの核心です。きれいに整えたら、たぶん別のものになってしまう。
地方ごとのバリエーション
同じ「メルカド」でも、街が変わると並ぶものが変わります。
地中海沿岸のバレンシアやバルセロナは、魚介の品揃えが豊富です。パエリア用の魚介とサフランを探す買い物客の姿は、この地方の定番風景。
内陸のマドリードやカスティーリャ地方に行くと、主役が入れ替わります。豚肉加工品、豆類、コシードに入れる食材。海が遠い分だけ、保存の効くものが棚を占めます。内陸の食卓がなぜ煮込み中心なのか、市場を見れば理由がそのまま並んでいる。
バスク地方ではピンチョスの材料になる新鮮な魚介が主役で、市場そのものが街のバル文化と地続きです。
地方の気候と産業を映す鏡。そういう目でメルカドを見比べると、旅の楽しみが一段増えます。
料理・ワインとの相性
市場で選んだ食材に、いちばん似合う調理法は何か。答えは、たぶんいちばん古い火です。
魚介も野菜も、炭火や薪火で香ばしく焼くだけで素材の輪郭が立ちます。手を尽くす必要がない。よい素材ほど、料理人の仕事は減っていく。生ハムや腸詰にはテンプラニーリョやガルナッチャのスペインワインを合わせれば、それでもう食卓が完成します。
食後の一杯には、市場で見かける柑橘やハーブを使ったサングリア。気取らないところが、メルカド文化に似合っています。当店でも、こうした市場の食材と炎の調理を掛け合わせた料理をお出ししています。
その日の市場を歩けば、その街の食卓がわかる。逆に言えば、市場を見ずに料理を語ることはできません。
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