五月のジブラルタル海峡。大西洋から地中海へ向かうマグロの群れが、狭い海峡に集まってきます。その通り道に、何キロにもわたる網が仕掛けられている。船が輪をつくり、網が引き上げられ、海面が白く泡立つ。この光景は、フェニキア人の時代から繰り返されてきました。

アトゥン(Atún)とは、スペイン語でマグロのこと。とりわけアンダルシア南端のカディス沿岸では、クロマグロが地域の食文化そのものになっています。それを支えているのが「アルマドラバ」と呼ばれる伝統的な定置網漁です。

三千年続く漁法とは何か。獲れたマグロはどう扱われるのか。順に見ていきます。

からりと揚げられた小魚の一皿

アルマドラバという漁

アルマドラバは、アラビア語で「打つ場所」を意味する言葉に由来すると言われます。

仕組みは単純です。マグロが回遊する通り道に、迷路のような網を張る。群れは網に沿って進み、しだいに狭い区画へ導かれ、最後の囲いに入る。そこで網を引き上げ、漁師が一本ずつ引き揚げる。

追いかけるのではなく、待つ漁です。フェニキア人がこの地に持ち込み、ローマ時代には大規模な加工場が並び、塩漬けのマグロや魚醤が帝国中に運ばれました。カディス周辺の遺跡には、そのころの塩蔵施設が残っています。

この漁法には副産物があります。網に入るのは、産卵のために脂を蓄えて地中海へ向かうマグロ。時期と場所が限定されるぶん、獲れる個体の質が揃う。さらに、狙った魚以外を大量に獲らないという性質も持ちます。伝統が、そのまま資源管理の形になっている例です。

季節が味を決めるという点では、旬に沿って料理が変わるスペインの感覚そのもの。太陽が育てたアンダルシアの食文化の、海側の柱がこれです。

部位ごとの呼び名

マグロを一本捌くと、部位ごとに別々の名前がつきます。

背の赤身は「ロモ」。もっとも一般的で、焼いてもよし、生でもよし。腹側の脂ののった部分は「ベントレスカ」と呼ばれ、日本でいうトロにあたります。厚く切って焼くと、脂が滴りながら香ばしくなる。

首まわりの「モルージョ」、頬肉の「モヒージョ」、目の裏の「タラントーロ」。日本の解体と同じく、スペインでも捨てるところがほとんどありません。部位で焼き方を変えるという考え方が、牛肉だけでなく魚にも適用されているわけです。

面白いのは、この解体作業「ロネオ」が職人技として受け継がれていることです。数百キロの魚を、大きな刃物で部位ごとに切り分けていく。市場でもメルカドの一角で実演されることがあります。

油で揚げた小魚を盛った皿

モハマという保存の知恵

獲れすぎた分をどうするか。答えは、塩でした。

モハマ(Mojama)とは、マグロの赤身を塩漬けにして天日で乾燥させたもの。表面は濃い赤褐色に変わり、水分が抜けて凝縮する。これを紙のように薄く切り、オリーブオイルをたらし、アーモンドを添えて食べる。

味わいは、魚というより熟成した肉に近い。生ハムを「海のハモン」に置き換えたような存在だと言われます。実際、製法の発想は同じです。塩で水分を抜き、乾いた風にさらし、時間で旨みを凝縮させる。

保存食から珍味へ、という道筋は干し鱈ともよく似ています。冷蔵設備のない時代の知恵が、いまは小皿料理の高級品として残っている。

薪火での焼き方と、ワイン

新鮮なマグロを焼くとき、注意すべきは一点だけです。火を入れすぎない。

赤身の筋繊維は、加熱するとすぐに水分を失い、ぼそぼそになります。表面だけを熾火で強く焼き締め、中心は生に近い状態で止める。焼き加減の見極めが、牛肉と同じくらい厳密に問われます。

ベントレスカのような脂の多い部位なら、もう少し火を入れて脂を溶かしてもいい。落ちた脂が煙になって戻り、薪の香りをまとう。仕上げは粗塩だけで十分です。

合わせるワインは、魚でありながら赤も選択肢に入ります。マグロの赤身は鉄分を含み、肉に近い性格を持つからです。渋みの穏やかなテンプラニーリョや、果実味の豊かなガルナッチャなら、赤身の旨みとよく噛み合う。

生に近い仕立てや、モハマのような塩気の強いものには、しっかり冷やしたロサードリアス・バイシャスの白を。温度の設定ひとつで、印象は大きく変わります。

三千年前と同じ海峡で、同じ網が張られている。一切れの向こうにある時間の話でした。ほかの魚の話は、コラム一覧からどうぞ。