レシピを書き出すと、材料は二つしかありません。豚のもも肉と、塩。以上です。

生ハム(スペイン語で「ハモン/jamón」)とは、豚のもも肉を塩漬けにし、長い時間をかけて乾燥・熟成させた保存食。火は使いません。加えるのはと、風と、時間だけ。なかでもスペイン固有種の黒豚から作られる「ハモン・イベリコ」は、世界最高峰の生ハムとして知られています。

材料が二つで、これほど複雑な味になる。その差を埋めているのが、待つという工程です。

吊るされて熟成される生ハムの原木

イベリコ豚とは

イベリコ豚は、イベリア半島に古くから生息するスペイン固有の黒豚です。一般的な白豚とは違い、脚が黒い。だから「パタ・ネグラ(黒い足)」とも呼ばれます。

ただ、品種の話だけでは足りません。この豚の値打ちを決めているのは、育つ場所です。

デエサと呼ばれる、広大な樫(かし)やコルク樫の林。ここに放たれ、実りの季節には地面に落ちた**どんぐり(ベジョータ)**をたっぷり食べて育ちます。どんぐりに含まれるオレイン酸などが、脂に独特の甘い香りとまろやかさを与える。

つまり、餌が味を書き換えている。同じ豚から取れるプレサという希少部位の質も、この林の恵み次第です。木の実が肉に移るという発想は、乾いた木の実に滋味が凝縮する話と地続きに見えてきます。

生ハムの等級

イベリコ豚の生ハムは、豚の飼育方法(とくにどんぐりをどれだけ食べたか)によって等級が分かれます。ラベルの色で見分けられるのが一般的です。

ベジョータ(Bellota) ― 放牧でどんぐりを食べて育った最高級。黒または赤のラベル。豊かな香りととろける脂が身上です。

セボ・デ・カンポ(Cebo de Campo) ― 放牧地で牧草やどんぐり、飼料を食べて育ったもの。緑のラベル。

セボ(Cebo) ― 主に飼料で育てられたもの。白のラベル。

さらに、イベリコ純血種は「100%イベリコ・ベジョータ」として、黒ラベルで区別されます。

生ハムの歴史

豚のもも肉を塩と時間だけで保存する生ハムづくりは、冷蔵庫のなかった時代の保存食の知恵から生まれました。イベリア半島では二千年以上前から作られてきたとされ、古代ローマの記録にもその存在が登場します。

厳しい冬を越すための保存食として始まった生ハムは、やがて塩と風、そして時間が生む豊かなうまみそのものが珍重されるようになりました。塩と乾燥で魚を保存したバカラオも、発想の根は同じところにあります。とりわけ、どんぐりで育つイベリコ豚の生ハムは各地で名声を高め、いまではスペインの食文化を象徴する存在へと育っています。

セラーノ生ハムとの違い

スペインの生ハムには、イベリコのほかに**ハモン・セラーノ(Jamón Serrano)**があります。セラーノは主に白豚から作られ、生産量が多く、比較的手ごろ。さっぱりとした塩気とうまみが特徴です。

一方のイベリコは、固有種の黒豚を放牧で育てるため希少で高価。脂の甘い香りとナッツのような余韻が際立ちます。同じ「生ハム」でも、豚の品種と育て方がまったく異なるのです。

皿に盛られたイベリコ豚の生ハム

熟成という時間

生ハムは、もも肉を塩漬けにしたのち、風通しのよい環境で長期間吊るして熟成させます。イベリコ・ベジョータともなれば、熟成期間は3年前後に及ぶこともあります。

この長い時間のなかで水分が抜け、うまみ成分(アミノ酸)が凝縮し、脂がまろやかに変化していきます。塩と時間だけで、これほど複雑な風味が生まれる。寝かせるほど旨くなるという理屈は、熟成肉熟成年数で格を分けるワインにも通じます。時間を味方につけた食べ物の、共通の作法です。

切り方と食べ方

生ハムは、切った瞬間から風味が移ろうため、薄く切りたてで味わうのが基本です。専門の職人「コルタドール」は、原木を専用の台(ハモネロ)に固定し、ナイフで一枚ずつ手切りします。

食べるときは、常温に戻して脂をやわらげるのがポイント。手でつまんでそのまま、あるいはスペインのパンにのせて。冷えたスペインワイン、とりわけ辛口のシェリーやスパークリングのカバと合わせると、脂の甘みが引き立ちます。熟成チーズとの相性を考えるときと同じ理屈で、年月を重ねたもの同士はよく響き合う。バルのカウンターでつまむタパスとしても、パエリア薪料理の前菜としても定番です。

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