朝食は一日でいちばん大事な食事、と教わってきました。スペインでは、その常識が通用しません。トーストとカフェ。以上。それで店を出ていく人が、朝のバルにはいくらでもいます。

デサジュノ(desayuno)とは、スペインで朝に食べる軽めの食事のこと。フランスやイギリスのようにしっかりとした朝食を組み立てる文化とは、まるで対照的です。ただし、これは手抜きではありません。午前11時ごろに「アルムエルソ(almuerzo)」と呼ばれる軽い間食をとり、昼食(コミーダ)は午後2時以降にゆっくり時間をかけて食べる。一日の重心が、後ろにずれているだけなのです。

歴史的背景、定番メニュー、カフェの飲み方、地方ごとの違い。スペインの朝を追いかけてみましょう。

バルのカウンターに並ぶトーストとカフェ

デサジュノとは

重んじられるのは、量ではありません。「短さ」と「気軽さ」です。

自宅で簡単に済ませる人もいますが、出勤前にバルへ立ち寄り、カウンターで立ったままトーストとカフェを流し込む人も少なくない。立ち飲みの流儀は、朝からすでに働いています。

そしてここが肝心なのですが、バルは飲食店であって飲食店ではない。近所の人と顔を合わせ、二言三言交わす社交の場でもあります。何を食べたかより、誰に会ったか。朝食とは、一日を起動させるための短い儀式なのです。

歴史・由来

なぜこうなったのか。気候と労働習慣が関係しているといわれます。

夏の暑さが厳しい地中海性気候の地域では、昼食後に長い休憩をとる習慣が根づきました。シエスタがなぜ食後に訪れるのかを考えれば、朝を軽くする理由も見えてきます。一日の食事は、朝を軽く、昼を重く、夜を再び軽く。この三部構成に落ち着いたのです。

もうひとつ、実務的な事情もありました。スペインのオリーブオイルやトマトといった身近な農産物なら、忙しい朝でも手早く一皿になる。理念ではなく、台所の都合がこの習慣を支えてきました。

定番メニュー

筆頭は、トーストしたパンにオリーブオイルとすりおろしトマトをのせた「パン・コン・トマテ」。材料は三つ。それでトマトの酸味とオイルの香りが立ち上がります。パンそのものも、土地ごとに違う顔を持つぶん、地域で表情が変わります。

甘いものが欲しい朝には、揚げ菓子「チュロス」を熱いチョコレートに浸すスタイル。なぜチュロスをチョコラーテに浸すのか——休日の朝、家族や友人とゆっくりそれを囲む光景を見れば、理屈より先に納得できます。

生ハムをのせたトーストも定番のひとつ。イベリコ豚の生ハムの塩味と脂の甘みは、パンの上でこそ本領を発揮します。

チョコラテに浸して食べるチュロス

カフェの飲み方

食べ物は省略できても、これは省略できません。コーヒーです。

もっとも一般的なのは、エスプレッソに温めた牛乳を加える「カフェ・コン・レチェ」。ミルクを少量にとどめる「コルタード」、ブラックの「カフェ・ソロ」もあり、注文の仕方には人それぞれの流儀があります。

バルでは注文するとすぐ出てくる。そして数分で飲み干し、店を出る。滞在時間の短さに驚かされますが、それでいい。ゆっくりするのは、午後の長い昼食の役目だからです。

地方ごとのバリエーション

同じ国でも、朝の風景は一枚ではありません。

バスク地方では、朝からピンチョスを軽く摘む人がいます。串一本に街の社交が詰まるピンチョスは本来、昼や夜のバルで楽しまれる文化。それが朝食にまで顔を出しているわけです。美食の聖地と呼ばれる土地らしい越境と言えるかもしれません。

一方、南部アンダルシアではオリーブオイルをたっぷり使ったトーストが好まれます。太陽が育てた食文化は、朝の一枚のパンにも降りてきている。気候と地域の食材は、時間帯を選びません。

オリーブオイルをかけたトースト

料理との相性

朝が軽いことを、貧しさと取り違えてはいけません。

昼食や夕食では、コトコトと煮込むコシード(スペインの煮込み)や、じっくり火を入れるコチニージョ(子豚のロースト)のような、時間をかけた料理が主役に立ちます。少量盛りの小皿料理が夕方から並びはじめ、夜は長い。

朝の軽やかな一皿と、夜の満ち足りた一皿。差をつけているから、どちらも際立つ。このメリハリこそが、スペインの食のリズムです。

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