アルゼンチンで食べたエンパナーダと、チリのそれと、スペインのそれ。名前は同じでも、出てくるものはまるで違います。牛ひき肉とゆで卵が入っていたり、天板いっぱいの四角い塊だったり。ひとつの料理名が、これほど広い意味を抱え込んだ例はそう多くありません。
エンパナーダ(Empanada)とは、小麦粉の生地で肉や魚介、野菜などの具材を包み、オーブンで焼く、あるいは油で揚げて作るスペイン発祥の惣菜パイ。語源はスペイン語で「パンで包む」を意味する「empanar」。名前が語っているのは、包むという行為だけです。中身は指定していない。だから世界中で形を変えられた。
手で持って食べられる手軽さから、家庭のおかずやおやつ、旅先での軽食まで幅広く親しまれています。定義や歴史、生地・具材の特徴、地域によるバリエーション、そして相性のよい飲み物まで、たどっていきましょう。

エンパナーダとは
パイ生地やパン生地で具材を完全に包み込んでから加熱する料理の総称です。一枚の生地を折りたたむ半月形から、大きな天板いっぱいに焼く大判タイプまで、形はさまざま。
それでも一本、共通する筋が通っています。「生地の中に具材の汁気やうまみを閉じ込める」という考え方です。包むのは、こぼさないためだけではない。逃げ場をなくすためでもある。
前日のコシード(スペインの煮込み)の残りを具材に使うこともあります。余ったものを、閉じ込めて焼き直す。クロケッタと同じく、家庭の知恵から生まれた料理という顔も持っています。
歴史・由来
起源は中世のスペイン、とくにガリシア地方にあるといわれます。持ち運びしやすく、保存も利く。農作業や漁の合間の食事に、そして巡礼路をゆく旅人の携行食として発展しました。歩く人のための料理だったのです。ガリシアで受け継がれる大判の惣菜パイは、その系譜の一方の到達点です。
そして歩く距離が、一気に伸びる時代が来ます。大航海時代。スペインからの移住とともに、この調理法はラテンアメリカ各地へ渡りました。アルゼンチン、チリ、南米各国。それぞれの土地の食材を使った独自のエンパナーダ文化が、次々に花開いていく。海を越えた食のつながりを、これほど素直に体現した料理もそう多くない。
いま、国や地域によって呼び名も形も具材も違います。それでも全部エンパナーダ。包むという一点だけが、海を渡って残りました。
生地と作り方の特徴
生地は、大きく二系統。パイのようにサクッと軽い層状のものと、パンに近いしっかりした食感のもの。
ガリシア地方の伝統的な大判タイプでは、オリーブオイルを練り込んだ生地が多く使われます。スペインのオリーブオイルの風味が、生地そのものの味を底上げする。包む側が無味であっていい理由は、どこにもありません。
仕上げの火入れも二通りです。オーブン焼きか、揚げるか。揚げタイプは屋台やバルの軽食として人気があります。熱の伝え方が変われば仕上がりも変わる——薪窯とアサドールで同じ炎が違う顔を見せるのと、根は同じ話です。
そして縁。生地の縁をひねって閉じる「レプルゲ」という飾り模様は、地域や作り手によって表情が変わる見どころのひとつです。

具材のバリエーション
人気の筆頭は、ツナと玉ねぎ、パプリカをトマトソースで炒めた「エンパナーダ・デ・アトゥン」。海に近い国の、素直な発想です。
ほかにもチョリソー(スペインの腸詰)を刻んで使うもの、鶏肉、タラ、そして魚介と野菜をふんだんに使うガリシア風。土地の恵みが、そのまま生地の中に入ります。
そして南米へ渡った先では、牛ひき肉やゆで卵、オリーブの実を合わせるスタイルが定番になりました。同じ名前で、中身は別の料理。系統図としては破綻していますが、それがこの料理の強さなのでしょう。
産地・バリエーション
国内でも地域性は顕著です。ガリシア地方では大判で切り分けるスタイルが主流。それ以外の地域や家庭では、一人分サイズの半月形が一般的。
屋台やピンチョス(バスクの串料理)を出すバルでは、小ぶりに焼いたものが軽食やつまみとして並ぶこともあります。少量盛りの小皿料理の列に混ざれば、大きさもまた小さくなる。器に合わせて姿を変える料理です。
料理・ワインとの相性
具材が幅広いということは、合わせる酒も幅広いということ。ここでも中身次第です。
ツナや魚介を使ったタイプなら、爽やかな酸味を持つチャコリやロサード(スペインのロゼ)。生地の香ばしさと具材のうまみを、酸が押し出してくれます。
肉を使ったしっかりした味わいのものには、テンプラニーリョのような赤。当店でも、薪火を使った料理と合わせて、こうした土地に根ざした一皿をご用意することがあります。包んで焼く、それだけの料理が世界を一周した——その事実だけで、十分におもしろい。
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