じゃがいもと卵。それだけの料理で、スペイン人は本気で議論します。玉ねぎを入れるか。中心をどこまで半熟に残すか。答えは出ません。
トルティージャ(Tortilla)とは、じゃがいもと卵を主な材料に作る、スペインの厚焼きオムレツのことです。正式には「トルティージャ・デ・パタタ(Tortilla de patata)」または「トルティージャ・エスパニョーラ(Tortilla española)」。フライパンひとつで焼き上げる、これ以上減らせないほど素朴な料理です。
それでもバルのカウンターにも家庭の食卓にも、必ずといっていいほど載っている。素朴さと不可欠さは、両立するのです。

トルティージャとは(定義)
薄切りまたは角切りにしたじゃがいもをオリーブオイルでじっくり火を通し、溶き卵と合わせてフライパンで両面を焼き固める。それがトルティージャです。
肝は厚みです。薄く広げるのではなく、厚みのある円盤に仕上げる。だから切り分けたときに、じゃがいもの層と卵がしっとり重なった断面が現れる。同じ卵料理でも、フリッタータとの分かれ道はこのあたりにあります。
そしてもうひとつ、この料理の強みは冷めても味が落ちないこと。だからタパスの一品として、常温で切り分けて出されることも多い。バルのカウンターに一日置いておける料理は、そう多くありません。
歴史・由来
起源には諸説ありますが、じゃがいもが新大陸からスペインへ渡った16世紀以降に生まれた料理と考えられています。
面白いのは、じゃがいもの扱いです。当初これは家畜の飼料でした。人が食べるものだと思われていなかった。それがやがて、安価で栄養価の高い食材として庶民の食卓に上がり、卵と組み合わせる調理法が広まっていきます。大航海時代がもたらした食材が、スペインの国民食に化けた例です。
19世紀にはナバラ地方の文献に類似の料理が記録され、以後スペイン全土へ。そして今日では家庭料理の象徴として、地方ごと家庭ごとに味付けと焼き加減の「正解」が主張されるまでになりました。
作り方のポイント
最も重要なのは、焼く前の段階です。じゃがいもの下処理。
薄切りにしたじゃがいもと玉ねぎを、たっぷりのオリーブオイルで揚げるように弱火でじっくり。崩れる寸前まで柔らかくする。ここを妥協すると、あとで何をしても取り返せません。
そして本当の難所が来ます。返す一瞬です。
溶き卵と混ぜてフライパンで焼き、途中でひっくり返す。皿やふたを使って手早く。同時に、中心部がとろりと半熟に収まる状態を見極める。この見極めが、そのまま腕の差になります。材料は誰でも買えますが、この一瞬は買えません。

地域によるバリエーション
基本形は、じゃがいもと玉ねぎ、卵だけの「トルティージャ・デ・パタタ」。ただし「玉ねぎを入れない派」がいて、この対立はスペイン国内でいまも決着していません。
バスク地方ではピンチョスのベースとして小さく切り分けられることが多い。ほかにもチョリソーを加えたもの、ほうれん草を混ぜ込んだ「トルティージャ・パイサナ」など、具材違いは各地にあります。
そして半熟具合。「しっかり火を通す派」と「とろとろに仕上げる派」。この論争は、スペインでは天気の話くらい気軽に持ち出される定番の話題です。誰も譲らないところまで含めて、この料理の一部なのでしょう。
料理・ワインとの相性
味の主張が控えめな料理は、合わせる飲み物を選びません。トルティージャがまさにそれです。
軽やかなロサード(スペインのロゼ)、爽やかな酸を持つチャコリ。どちらもじゃがいもと卵のやさしい甘みを押し上げてくれます。食前酒にスペインのベルモットを選ぶのも、いかにもバルらしい流儀。当店Opus 6でも、薪料理と並ぶ気軽な一皿としてご用意しています。
材料はふたつ。工程はみっつ。それでも同じ味には二度ならない。だからスペイン人は、いまも議論を続けています。
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