食べ終わりかけのパエリアを、スプーンの背でこそげる音がします。かり、と鍋肌が鳴る。それを聞くために、みんな最後まで待っているのです。
ソカラット(Socarrat)とは、パエリアの鍋底にできる薄いおこげのこと。スペイン語の「焦がす」に由来する言葉で、バレンシアではこれを一皿の主役と考える人も少なくありません。
焦げではない。かといって、ただの米でもない。その境目にあるものの正体を見ていきます。

ソカラットとは
鍋の底に接した米が、水分を失いながら糖とアミノ酸の反応を起こす。そうしてできる、飴色から褐色の薄い層。これがソカラットです。
厚さは、せいぜい数ミリ。噛むと、かりっとした食感のあとに、香ばしさが遅れて立ちのぼります。上に乗っている米はしっとり、底はかりっと。ひと皿の中に二つの食感が同居する。ここが米料理としてのアロスの面白いところです。
大事なのは、焦げとは違うという一点。黒くなって苦みが出たものは失敗です。狙うのは、その一歩手前。
なぜ鍋底にだけできるのか
パエリェラという浅く広い鍋の形が、まず効いています。
薄く広げた米は、だしを吸い終わったあと、底面から先に乾いていく。この「だしが尽きる瞬間」に鍋底の温度が急に上がり、そこで一気に反応が進みます。深い鍋では起きにくい現象です。
さらに薪火なら、火力が鍋全体に回りやすい。炎の当たり方で焼き色にむらが出ますが、そのむらこそ手作りの証だという考え方もあります。炭火と薪火の違いは、こういう場面で表情の差になって現れます。
米そのものの性質も無視できません。ボンバ米のように吸水しても粒が崩れにくい品種は、底で加熱されても輪郭を保つ。だからおこげになっても、粒の形が残るのです。
狙って作るための火加減
作り手が見ているのは、音と匂いです。
だしが引ききると、ぐつぐつという音が、ぱちぱちという乾いた音に変わる。ここから先が勝負です。数十秒、火を強める。香ばしい匂いが立ちのぼった瞬間に火を落とす。長引かせれば苦くなり、早すぎれば何も起きない。
判断の材料は経験だけ。焼き加減を見極めるのと同じで、決まった秒数はありません。鍋の大きさ、米の量、その日の火の勢い。すべてが変数です。
火を止めたあと、数分置いて休ませる。この間に余熱が回り、上の米まで落ち着きます。真っ黒に染まるアロス・ネグロのように色の濃い料理では焼き色が見えにくく、いっそう音と匂いに頼ることになります。
食べ方と、相性のいいもの
作法として決まったものはありませんが、鍋のまま出てきたら、まず上の米から。最後に底をこそげる。これが多くの店で自然に行われている順序です。
スプーンで鍋肌をこすり取る。この行為自体が、食卓の締めくくりになっています。大皿を囲んで分け合うスペインの食べ方らしい光景です。
合わせるワインは、香ばしさを邪魔しないもの。ロサードの軽やかな酸は、米料理全般と相性がよく、ソカラットの香りを流しすぎません。魚介のパエリアならリアス・バイシャスの白、肉の入った元祖バレンシア風ならガルナッチャを主体にした軽めの赤も選択肢になります。温度をやや低めに整えると、香ばしさと酸が同じ高さで並びます。
鍋の底にしかできないもの。だから最後まで残しておく。米を別皿の魚と分けて炊く流儀にも、米を使わないフィデウアにも、それぞれの「底の楽しみ」があります。ほかの話はコラム一覧からどうぞ。