瓶を並べてみると、色がそろいません。琥珀色のもの、ほとんど白いもの、黒に近いもの。中身はすべて蜂蜜です。
スペインの蜂蜜——「ミエル(miel)」。地中海性気候から山岳・高原地帯まで、これだけ環境の幅がある国では、蜜のほうも一枚看板にはなりません。ローズマリー、オレンジの花、栗、ラベンダー。蜜源の植物が違えば、香りも色も味も変わります。同じ言葉で括るのが乱暴に思えてくるほどです。
砂糖のなかった時代、これは貴重な甘味源でした。料理にもデザートにも使われ、その役目はいまも終わっていません。

ミエルとは(定義)
ミエルとは、ミツバチが花の蜜を集め、巣に貯めて水分を飛ばし、濃縮した天然の甘味料です。人の手が加わる前に、すでに濃縮工程が済んでいる食品——考えてみると、なかなか特殊な立場にあります。
スペイン語で単に「miel」といえば蜂蜜。そこに蜜源植物の名を付けて呼び分けます。「Miel de Romero(ローズマリー蜂蜜)」「Miel de Naranjo(オレンジの花の蜂蜜)」。どの花から採れたかを名前に刻む——ワインが産地を名前に背負うのと同じ発想です。
砂糖が普及する以前のヨーロッパで、蜂蜜は数少ない甘味源のひとつでした。スペインでも菓子や料理の甘みづけとして重宝されてきた歴史があります。
歴史・由来
イベリア半島の養蜂の歴史は、文字より古い。スペイン東部には、先史時代の壁画に蜂蜜採集の様子が描かれた遺跡が残っています。蜜を採る人の姿を、わざわざ岩に描き残した。それだけの価値があったということです。
古代ローマ時代には、オリーブオイルやワインと並ぶ重要な交易品でした。
中世に入って、話が甘くなります。イスラム支配下のアンダルシア地方で、アーモンドと蜂蜜を使った菓子文化が発展したのです。これが後のスペイン菓子の基礎のひとつになったといわれています。太陽が育てたアンダルシアの食文化には、揚げ物と小皿料理だけでなく、この甘い系譜も含まれている。
いまもコチニージョやコシードといった煮込み・ロースト中心の郷土料理と並んで、蜂蜜を使った伝統菓子が各地に息づいています。
特徴と魅力
スペインの蜂蜜の面白さは、一つの味に落ち着かないところにあります。
蜜源の多様さ ― ローズマリー、タイム、ラベンダーといった地中海性の香草類から、栗、ユーカリ、オレンジの花まで。蜜源が豊富で、色・粘度・香りの個性がはっきり分かれます。同じ棚に並んでいるのに、別の食品といっていいくらい違う。
濃厚な香りとコク ― 温暖な気候の花から採れる蜜は、総じて香りが強く、コクが出やすいとされます。ここで意外なのが栗の蜂蜜。ほろ苦さを持っていて、甘いだけの液体ではありません。蜂蜜に苦みを期待する人は少ないでしょうが、あれを知ると評価が変わります。
料理との親和性 ― 甘味料の枠に収まりません。イベリコ豚の生ハムやチーズに数滴たらして、塩気と甘みをぶつける。料理の一部として働かせる使い方が、スペインではごく普通です。

デザートへの活かし方
スペインの伝統菓子では、蜂蜜が脇役に回らないことがあります。
代表格はトゥロン。アーモンドと蜂蜜、卵白を練り固めたヌガー状の菓子で、クリスマスの食卓には欠かせません。ここでの蜂蜜は、甘みの担当というより骨格そのものです。
揚げたてに熱いうちから蜂蜜をたっぷりからめる素朴な焼き菓子。蜂蜜とアーモンドを使ったアンダルシアの伝統菓子。どれも共通しているのは、砂糖では出ない香りの余韻と、しっとりした食感です。砂糖に置き換えると、甘さは足りても何かが欠ける。
表面をキャラメリゼしたクレマ・カタラーナのような、焦がした甘みとの組み合わせでも蜂蜜のコクは効きます。バルの締めくくりに供されるポストレの中で、蜂蜜が顔を出す場面は思ったより多い。
産地とバリエーション
地図の上に蜂蜜を置いていくと、気候の分布図がそのまま浮かび上がります。
中央部のラ・アルカリア地方は、古くから良質な蜂蜜の産地。ローズマリーなど地中海性の香草を蜜源にした、香り高い蜜が作られています。カスティーリャ地方をはじめとする内陸の高原でも、タイムやラベンダーを蜜源とする蜂蜜が伝統的に生産されてきました。
地中海沿岸のオレンジ畑が広がる地域では、オレンジの花の蜜。華やかな香りで知られます。スペインの豊かな果実文化を思えば、花のほうも当然無駄にはしない。北部の湿潤な山岳地域に行けば、栗やユーカリの蜂蜜が増えてきます。
一つの国のなかで、これだけ違う。気候と植生の差が、そのまま瓶の中身の差になっている——蜂蜜がその土地の名前を持つ理由が、ここにあります。
料理・ワインとの相性
蜂蜜の濃い甘みと香りは、酸や渋みとぶつけると生きてきます。
デザートに添えるなら、貴腐ワインのような甘口はもちろん合います。ただ面白いのは対比のほうで、ロサードのようなフルーティな果実味を持つワインと並べると、甘さの輪郭がはっきり出ます。熟成感のあるクリアンサ・レセルバの余韻に寄せていく手もある。
当店でも、蜂蜜を使ったデザートを季節ごとにご用意し、薪火料理とあわせた食後のひとときをご提案しています。
素材の香りをそのまま届ける。その一点で、蜂蜜と薪料理は同じことをしています。花の記憶を運ぶ液体と、木の記憶を運ぶ煙。どちらも、人が足したものではありません。
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